夜明けはそこに横たわる
















「離れたくない」

 耳朶に触れる囁きに思わず身を固くして、珍しい、と思った。私から縋ることはこれまでに何度だってある。けれど今日はフランスの方から、なのだ。二度と離れないのではないだろうかと思うくらい、腕に力を込めるフランス。少し息苦しさを感じながら、胸の高鳴りと頬の紅潮は抑えられない。私の耳はちょうど彼の胸の辺りにあり、直にその鼓動を感じることができる。私に負けず劣らず、彼の心音も大きく早かった。
 そっと私もフランスの背に手を回した。すると彼は切なげに「」と名前を呼び、髪に唇を落とす。

「どうしたの?らしくないわね」
「気分だ」
「いいけど」

 なんなら泊まってく?
 どきどきしている自分を誤魔化すようにそう返すと、「茶化すな」と小突かれる。ようやく解放され、簡単に酸素は肺に送られ始める。それは快であり、不快であった。
 私が黙ってしまうと、フランスはまた髪に、頬に、唇に、キスをして来る。拒むことはないけれど、今日のフランスはやはり変だ。酒の量が多かったわけではないから酔ってはいないだろう。素面でこんな大人げないことを言う彼なんて初めてで、私は若干動揺している部分がある。キスが止まったかと思えば、また抱き寄せられる。

「人間なんて、簡単にいなくなってしまう」
「…ええ」
「俺たちを、いつだって置いて行くんだ」

 そう呟く彼の脳裏には今、一体誰が映っているのだろう。ジャンヌ?それともナポレオン?どっちにしろ私ではない。きっと私はその場しのぎの穴埋めなのだから。あちこちに女作って、たまにしか現れないような男、今日だって気まぐれに違いない。さっきだって自分で堂々宣言したのだ、「気分だ」と。
 分かっているはずなのに、胸が痛む。彼は私が本気だということを分かっているのだろうか。私が今この瞬間を遊びだとでも思っていると、そう考えているのだろうか。

「私は、サンドリヨンじゃないわ」
「は?」
「十二時の鐘が鳴っても帰らなくていいの」
「ちょっと待て」
「どうせ夢見が悪かったんでしょ。一日くらい帰らなくても心配する親はもういないもの」

 そして今度は私から彼に一瞬だけキスをした。驚いたように目を丸め、苦笑する。
 その青い瞳に映る私も、その内フランスを追い越して行くのだろう。しわくちゃになって、けれどそうなる前に彼の前から姿を消すのだろう。私の目にはずっと変わらない彼を映して、ずっと変わらない声と体温を抱えて、きっと去るのだろう。
 夢見が悪いのは私の方。甘い甘い夢に漂って、いつまでも離れられずにいる。彼は優しいから自分から別れを告げるようなことはしない。ならば私から。時が来たら私から手を放す。だからどうかその時まで、本当はずっと私だけを見ていて欲しい。他の女など映さず、私だけを。

「だから、今夜は一緒にいてあげる」

「文句なんてないわよね?無断外泊なんてするんだから。それに先に言ったのはそっちよ?“離れたくない”って」
「…ああ、そうだな」

 朝になれば夢は覚めてしまう。どうせそれまでなんてあっと言う間に過ぎて行く。そうして迎えるのだ、私にかけられたサンドリヨンの魔法が解ける時を。
 もう夜も深い。私は目を擦り、彼も欠伸をして、共にベッドに倒れこんで泥のように眠った。できることなら、このまま覚めなければいい。
















(2008/9/6 そう、もう夜明けはすぐそこ)

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