真冬の屋上から臨む景色は、澄み切った空気の中で凛として見えた。やっぱりこの場所は落ち着く。すとん、と肩の力が抜けて、わたしは冷たいコンクリートの上にじかに座り込んだ。膝を抱え込んで顔をうずめる。ぼんやりと足の隙間から地面を見つめていると、自分も呼吸をしているということに気付いてふしぎな気分になった。涙は出てこなかった。
屋上の片隅に縮こまってゆるゆると瞼を閉じる。細く細く糸のように息を吐く。このまま冬の空気と一緒に透明になれたら少しだけ素敵かもしれないと思う。

「そこのマドモワゼル、お兄さんと一緒にお茶しない?」

そんなセンチメンタルな気分に浸っていたので、闖入者の登場はあまりにも唐突だった。穏やかだった呼吸の波が乱れる。嫌というほど聞き覚えのありすぎる冗談めかした口調。自然と、彼のほうを振り向くのも億劫になってしまう。

「……なんだ、フランスか」
「素っ気ないお返事メルシー。前から思ってたけどは俺に対する愛が足りないよ」
「おわっ寒気した。やっぱ屋上寒いな……」
「おーおー冷てえの。……と、この地面も負けず劣らず冷たい」

フランスはそう言ってぺたぺたとコンクリートの床を触り、そこへ腰を落ち着けた。

「ちょ、なんで横座るの。ていうかなんでここ来たの」
「ん? がいるかなーって思ってさ。どうせ昼飯も食べないでいるんだろうな、と。大当たりだったろ?」

の行動パターンはお見通しってこと。フランスの上機嫌な笑顔を見て思わず溜息をついた。
いちいち反駁するのも面倒になって大きく伸びをする。深呼吸の瞬間に鼻腔を通り抜けた空気は寒々しく、鼻の奥がツンとした。冬空は隅々まで晴れすぎていて気に食わない。半眼で空を見上げていると、右手にフランスの指が触れた。

「マドモワゼル、御手を拝借」

言葉とは裏腹に、エスコートするように下から手のひらをすくいあげるのではなく、気安くわたしの手を掴んで缶を握らせた。カフェオレ、微糖。ほかほかと温かいそれを受け取って、数度目を瞬く。苦笑して首を横に振った。

「あー、わたし、コーヒーは……」
「ブラックじゃないと、か?」

自分の台詞を先に言われて一瞬固くなった。目元を和ませ、わたしの手からコーヒーを取り上げるフランス。プルタブに人差し指を掛けると、パキ、音を立てて缶を開ける。それからまたわたしに缶を手渡した。しぶしぶ受け取らざるを得ない。

「……無理してコーヒーをブラックで飲んで、香水を少し高いやつに変えてみて、……そうやって背伸びして。いじらしいねえ」
「……フランスには関係ないでしょ」
「そんだけ想ってもらえりゃ男冥利に尽きるわな」

フランスはしみじみと呟く。思い出す、ささやかでこっけいなわたしの試みたち。結局は功を奏さなかったけれど。
わたしはばつが悪くなってそっぽを向いた。ぽんぽん、と後ろから幼子をあやすように優しく頭を叩かれた。まったくやめてほしい。揺らされた拍子にこらえてた涙がこぼれたらどうしてくれる。

「とりあえず飲んどけ。身体温まったら気持ちもほぐれる」
「……まだ好きなんだから、優しくしないでよ」
「はいはい。今口説いたらさすがにずるいなってことぐらい、俺も分かってるよ」

それきり口を閉ざしたフランス。わたしも黙って缶コーヒーに唇を寄せた。独特のわずかな苦味と甘ったるいミルクが混じり合って口内に広がった。カフェオレは喉を温もらせて、身体を丸める猫のように仄温かく胃の腑に収まった。呟きはミルク色になり冬の透明な空気へと立ちのぼった。

「……あま……」

フランスが微笑むのが気配でわかった。缶を頬に当てると控えめな温度がじんわりと染み入った。


甘党と猫の目


(もっと私を愛してよ!さまへ。ありがとうございました)
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